【未来日本に生きる】日本のジレンマに見る人々の「不安」について

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昨晩、Eテレで放送されていた「日本のジレンマ」
この番組はテーマによってですが、好きで時々見ています。
ただ、昨晩のテーマはちょっと重かった感じでして、第1部が「不安」、第2部が「絶望」というテーマでした。
第3部以降もあったかもしれませんが、眠くて寝てしまいました。

「不安」は人それぞれです。
社会に対する「不安」、他人に対する「不安」、自分に対する「不安」。対象はいろいろありつつも、心や気持ちがざわつき落ち着いていられない。明日の自分を考えたときに、今日と同じ自分でいられるかを保証できないからこそ、ものすごく心配になる。
ここから、番組の中では、「不安」と「安定」という部分を掘り下げた討論をしていたように思います。


「不安」とは何でしょう。「安定」とは何でしょう。

Wikipediaでは「不安」を次のように定義しています。

『不安(ふあん、英語: anxiety, uneasiness)とは、心配に思ったり、恐怖を感じたりすること。または恐怖とも期待ともつかない、何か漠然として気味の悪い心的状態や、よくないことが起こるのではないかという感覚(予期不安)である。』

ここにある「心配」や「恐怖」の源泉が、「先の見えない未来」にあるとしたとき、それを是とするか否かが議論の分かれ目です。
「先が見えない」ことが「不安」であるとき、「安定」を求めているわけです。安定している社会は「先が読める」わけで、そのため落ち着いた思考や行動ができる。
しかし、今の時代、むしろ「安定」などは存在しない、とする見方もあり、そんな時代に合わせていかようにも変化できる自分でないと、永遠に安心は得られない。

何が正解なのかはわかりません。議論の過程を少々覗けば、「安定志向」もまた、ある種の「不安」を抱えながら生きることに変わりないようにも見えます。


縮みゆく日本で不安を感じずに生きるには

この日本に生きるとき、いや、いつの時代もそうだと思うのですが、
「不安」を感じずに生きることができれば、それだけで幸せなことだと思います。
「ジレンマ」に出ていた若い世代(20代・30代かな)もそうでしょうし、もちろん、僕らのような50代も、「不安」の質や内容は違うかもしれませんが、それぞれに抱えています。
まあ、だからこそ、「人生」を歩む意味があるのかもしれませんし、「不安」を乗り越えた先にこそ、「希望」があるのだと。
番組でも言ってました。「絶望」の淵に「希望」が待っている、と。

2018年、どんな年になるか。
皆、「不安」を抱えています。でも、だからこそ、日々を充実して過ごせるようにしたい。
多くの人が、「やっぱり、この国はいいなぁ」という日本にしていきたい。
そこに、微力ながらも関わっていける自分でありたい、そう思うのです。
それでは、具体的に何をしていけばいいのでしょう。
これからのこのブログでは、そこをテーマに1年間(できるのか?^^;))綴っていきたいと思います。

未来日本に生きる。縮みゆく日本で、健やかに、輝きながら生きる。

これが、主テーマです。

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